お食い初め
2010年01月27日
今日という日にブログを書くとなれば、もちろん都バスについて書かねばならんと思っているのですが、それを書く気力が今日は無いっす。でも、面白かったのはとっても面白かったので、気力が充実しているときに書きたいのです。
本日は、私の個人的なつぶやきでごわす。
下の娘がお食い初めだったそうで。
日々、悪戦苦闘していると、100日目だとか101日目だとか数えている暇がないんで、うっかりしておりましたが、そこはやはり姑というかお祖母ちゃんという人は忘れておらん訳です。
ちょっと日にちは過ぎたけど赤飯を炊いて頂きました。鯛まで焼いて頂いて。
お返しにけんちん汁やら、茶碗蒸しやら作って差し上げましたが、そうですか、お食い初めでしたか。
しかし、お食い初めってなんなんだろ。食えねぇじゃん、まだ。
昔は三か月そこらで食えたんだろうか。訳ねーよな。
だけど、姑が赤飯を炊いたのには、それだけではない事情があったのです。
発端は三日前に遡ります。
その日、出掛ける用事が出来た私と旦那は、下の娘を姑にあずけて出掛けようとしておりました。上の娘が昼寝から起きたら即出掛けるつもりで。そこへやって来たのが旦那の姉。彼女が来ているので、少し上の娘を姑の家に連れて行きました。寝ぼけ眼ながらも喜んで姑の家にやってきた娘。姑の家には、自宅にはない楽しいおもちゃがたくさんあるし、それだけではなく、彼女が大好きなお祖母ちゃんがいるからです。
嬉しそうに部屋の扉を開けたとたん、娘は動かなくなってしまいました。
大好きなお祖母ちゃんの膝に、見慣れちゃいるけど、自分以外の小さい赤ちゃんがいたからです。
壁に張り付いたまま、何故かなかなか動こうとしない娘を「大勢人がいるからビックリしたのね」と義姉や姑は納得したようですが、ま、それもあるだろうけど、ありゃ嫉妬だよ。
彼女の頭の中では、「お祖母ちゃんは自分だけのお祖母ちゃん」というような考えになっていたんでしょうと思われます。ここでも、この子(下の娘)が居るとでも思ったのでしょうか。まったく動けなくなってしまい、いつもなら愛想のいい娘が微動だにできないままでした。
こういう事態を懸念していた私は、お産後、家に戻ってくるときに、上の娘とは会わないように隠れる様に家に入りました。
赤ん坊を抱いている姿を上の娘に見せないためです。
長らく会わなかった母親が、知らん子どもを抱いて帰ってきたらショックだろうなぁと思って。
姉妹が生まれた事を喜ばない子どもはいないと思いますが、だからといって見せつけるこたぁないわけで、まずは居る事に慣れてもらって、それからだなと思っていました。
下の子の世話をしたら次は上の子のケア。そういう感じで、どっちも大事だよという態度で接してきました。
お陰でなのか元々赤ちゃんだからなのか、赤ちゃん返りもなく今日という日を迎えておるわけですが、ただでさえ疲れるのにやたらにくたびれる毎日でございました。
だけど、そういう事をやらないと「自分はいらなくなったんだ」とか思うらしいんですよ。
しかし、お祖母ちゃんにも嫉妬するのか。そりゃ盲点だったなぁ。
近いうちにお祖母ちゃんと心ゆくまで遊ばせんとイカンなぁと思っていたのですが、さすがご年配になると「待つ」という事が出来んわけで、翌日さっそくやってきました。下の娘のお食い初めをどうしようかという口実で。
姑は、娘の反応がよほどショックだったらしく、悩みに悩んでいたようでした。
しかし、くどいようですがご年配になると、思考が一方向に固まってしまうというか、「嫌われた」とか思い込んじゃうとそこから抜け出られなくなるんですなぁ。
私が昨日の娘の心理状態を説明すると、安心したような嬉しいような表情で心ゆくまで娘と遊んで行きました。
娘のためには大変良かったと思います。
私のためには、手間暇増えてめんどくさかったけど(笑)
だけど、お陰さまでお食い初めも出来たし、まぁ良かったかなぁと。
姑が焼いた鯛を上の娘は、私仕込みの京様の真似、「ん~~~!」を連発して食べていました(笑)
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